去年、日本テレビで放映された「全国民が選ぶ、おいしいラーメン屋さんベスト99」で、北海道から唯一ランクインしたのが、札幌西区の「ラーメン縁や」。店主の野本栄ニさんは、6年前まで腕利きの鉄筋工として働いていた、ユニークな経歴を持つ。 「中学を卒業してから建設業一筋で15年。26歳の時には、小さいけれど自分の会社も興し、経営も順調でした」 港湾の仕事を得意とし、留萌港(北海道)、日立中港(茨城県)、東本牧の埋立工事(神奈川県)など全国の現場を渡り歩き、92年には腕をかわれ技術指導員としてインド洋のスリランカに半年間赴任していたこともある。 そんな彼が、長年のキャリアを積んだ仕事を捨ててまで、畑違いの飲食業に身を投じたのはなぜだろう。 「中間業者の多い建設業界のシステムに矛盾を感じてました。国が仕事を発注して、商社が受注し、大手のゼネコンに出し、それを一次下請けにまわして。孫請けの僕らのところまでくると、取り分はほんのわずか。それがどうしても腑に落ちなかった」 そんな野本さんの疑問に拍車をかけたのが、北海道経済の先の見えない落ち込みぶりだった。 当時、1998(平成10)年末は、拓銀や中堅ゼネコンがバタバタと倒産し、北海道開発庁(現・国土交通省)も取りざたされるようになった頃。建設業界もそのあおりをまっさきに受けていた。 「そもそも北海道は半年間、雪で仕事がない。どうしても失業保険に頼らなざるを得ない時期がある。なのに、こんなに経済が冷え込んで、この先、希望が持てない。かといって、中卒だし、歳も30だし、ほかになにができるわけでもないし、と後ろ向きに考えてました」
それからは、毎日2時間の睡眠でラーメン作りに没頭。どうしてもうまくいかない時は、知り合いの料理人に電話をかけて尋ねた。 「建設の仕事で札幌を長く離れる時は、現地で一軒家を借りて社員で住むんですが、おさんどんを地元の飲食店に頼むんです。だから、和・洋・中、幅広い分野の調理人と仲良くさせてもらっていて。電話をすると、夜中でもダシの取り方や素材の選び方まで、素人の僕にほんとに親切に教えてくれました。そういう意味では、お師匠さんが何人もいたんです」オープンから無休で1年半。休んだのはスープが失敗した2日間だけ。充実感はあったが、原価をかけすぎていたために経営的には赤字が続き、店をたたもうかと悩みはじめた頃に舞い込んできたのが、新横浜ラーメン博物館(横浜市)の5周年記念コンテスト(1999年4月実施)の応募用紙だった。「ダメもと」のつもりで応募したところ、全国344店舗のエントリーの中から準優勝。その後2001年には、人気テレビ番組「愛の貧乏大脱出」の達人に選抜されたのをはじめ、昨年には東京池袋の東武百貨店に誘われ、期間限定の東京支店もオープンした。 「いまの人気はちょっと神がかり的もの。まだ6年目のひよっこですからね。日々、危機感持ってやってます」 野本さんによると、いま札幌のラーメン専門店は約1000軒。ここ10年間に2倍以上に数が増え新規オープンした店の8割が2年以内に店を閉じるほど、生き残りの厳しい業界だそう。 「先のことはわからない。でも、人の喜んでもらえるこの商売が好き。自分でも不思議だけどね。あの事故に出会ってなかったら、絶対ラーメン屋になろうなんて思わなかったはず。 これが、縁というものなのかなあ」 店名「縁や」の由来も、そこにあったのだ。